「仕事も、人生も、何事も、真心をこめてつとめるべきだ。」
「(出来ないことがあって悩んでいても)手伝ってくれる、協力してくれる仲間がいて、ありがたい。(そういう人たちに)真心をこめて接しなくては失礼だと思った。」
「(今の自分には)真心が足りない(と感じた。)」
「やめようと思ってもタバコをやめられない。自分の素は、怠が勝つ側だ。」
「(致知を読んで)人生を切り拓いていく22歳の青年に見習うべきことがある。」
「もっと心を敬にできる。がんばってきたとは思うが、まだまだこれからも成長できる。」
「(会社の)若手のお手本になり、人間学の学びを伝えていく。小さなことから一所懸命になって、行動で示していく。」
またこうした感想に対して、たくさんの愛ある美点凝視のコメントが続きました。
「(真心がないというが、)厳しい叱責も、人を育てたいという思いから。深いところに愛情があってなのではないか。わかる人にはわかる。」
「自分は「怠が勝つ側」というが、すべての人に両の面があり、どちら側などない(と思う)。認識できることが出発点。自分を見つめなおすことが大事。今、そこに立っている。」
「周りの人への気遣いがいつも素晴らしい。周りの人の信頼は、日常の行動による。捕まえるのは難しくなくても、逃げられるのは一瞬。行動次第で離れていく。」
「新しい挑戦は大変だけど、新たな立場に身を置くからこそ見えるものがあり、成長もできる。応援している。」
「日常の行動に敬があれば、(やっていない人が)自分のことを恥ずかしいと思う人も出てくるだろう。負けないように一緒にがんばりたい」
生涯「敬、怠に勝つ」人生を送ってきた致知に出てくる先達の生き方を代表する言葉として、松下幸之助氏は、「自らにムチ打ち、他にムチ打たれ、人も会社も成長する」とあった。
怠惰の暗闇にのみこまれそうなとき、一筋の光をもたらすものが、「よき人、よき教え、よき言葉」である。それは人により、その時により様々でしょう。安岡正篤師の萬燈行にあるように、暗闇を嘆くことなく、一燈を点けていく。点けていくことを諦めない努力が一つの敬である。
当社の社内木鶏会も、部課長限定とはいえ、3年が経過しました。
これからも真心こめてつとめて参ります。