Home > 金堀重機ブログ > お知らせ , その他 > はじめまして♪
はじめまして、新入社員の斎藤です!
新入社員といいましても、アラフォー主婦(気持ちは新卒)です。
ふだんは総務のお仕事をしていますが、このたび、ブログ更新の御役目を仰せつかりました。
会社のイベントやふだんのようすなどはもちろん、コラム的な記事も書いてみようと思っています。
わたし自身、楽しみながらつづけていきますので、お付き合いいただけるとうれしいです。
1月4日は、わたしにとってはじめての木鶏会でした。
木鶏会は「もっけいかい」と読みます。木鶏は、中国の古典『荘子』に由来する故事が語源です。
まるで木彫りのニワトリのように動じない、闘鶏のニワトリの風貌からとっています。そのことから、
いつしか真人(しんじん=まことの道に達し、道徳を身につけた人)を意味するようになりました。
令和7年、記念すべき第一回目のテーマは「恕」についてでした。
「恕(じょ)」は、孔子の言葉です。
あるとき、弟子の子貢(しこう)がたずねました。
「先生、たった一語で一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか」
孔子は、
「それは恕かな(其恕可)」
と答えました。つづけて、
「自分がされたくないことは人にしてはならない、それが恕だ。つまり、思いやりということである」
と説いたといいます。
他を受け容れ、認め、ゆるし、その気持ちを思いやる。
自分のことと同じように人のことを考える。そのことこそ、人生で一番たいせつなことだというのです。
子貢と孔子とのやりとりから各自「恕」について感じたことを紙に書き、グループに分かれてひとりずつ発表しました。
以下、わたしが感じたことをつらつらと書いていきます。
恕の訓読みは「ゆるす・おもいやる」。似たような漢字に怒「おこる・いかる」があります。
恕が(相手の)「心の如くなる」のに対して、怒は「奴(と思って相手を憎む)心」です。
前者は相手の立場に、後者は自分中心になって相手をとらえています。
花束と写真パネルを贈呈💐
この日は夕方から、長年勤められてきた蛭子さんの送別会がありました。
あいさつのなかで蛭子さんは、じぶんは恕ということばがとてもすきで、
自分にとっては最後の木鶏会のテーマに社長が「恕」を選んだことに、とても驚いたそうです。
また、蛭子さんは新年の安全大会で次のように仰っていました。
「いつも、相手と同じ目線になってやってきた」
これぞまさに、恕の精神そのものなのではないでしょうか。
わたしも実践していきたいと思いました。
ゲーム中のひとコマ